今日から、貧困生活の実態をブログに書いていこうと思います
貧困生活の始まりは突然だった。
俺が高校に入学してすぐの頃の話です。
金持ちではないけど、家族4人でそこそこの生活をしていました。
親父は学歴はないけど、肉屋の職人として働き、母は身内の弁当屋でパート。
裕福ではないけど、人並みの生活は送れていました。
親父は必死に働き、安いけどローンでマンションを買い、幸せな日々が続いていました。
そんな時、突然、身内の弁当屋が夜逃げしたというんです。
それだけなら、うちには大して関係ない話なんですが、うちの母はその弁当屋の借金の連帯保証人になっていたんです。
身内だから···
両親はお人好しです。
身内だから、大丈夫。
そう思ったんでしょう。
そりゃそうです。
夜逃げしたのは、母の妹です。
まさか、そんなことになるとは考えてもいません。
俺も、その叔母さんには小さい頃から旅行や外食なんかに連れていってもらい、優しい叔母さんでしたから。
ほんとに、突然でした。
幸せな家庭が、その瞬間に音を立てて崩れさったんです。
借金の額は3000万。
細々と生活していたうちの家計では、払える金額じゃありません。
家を売りましたが、ローンが残っているので、入ってくる金額なんかたかがしれてます。
いままで、金がなくても幸せな生活を送れていたのに、その日を境に何もかもが変わってしまいました。
これが、貧困生活の始まりです。
信頼していた人、特に身内に裏切られる事ほどショックな事はありません。
俺は、誰も信じられなくなりました。
両親は自分で使ってもいない借金を返すべく、いままで、以上に働きました。
俺も、高校を辞め、働き初めました。
高校ぐらい出ろ!と、親はいいますが、そんな負担はかけられません。
親には「勉強なんか面白くない。こんな学校にいる意味はない。」と嘘を言い、中退しました。
高校ぐらい···そりゃ卒業したかった。
でも、この状況でそんな事は言えない。
しかし、この決断が今の貧困生活を招いてる原因かもしれませんけどね。
その後は、休みなく働いていた親父が倒れ、そのまま死にました。
母はパートで働き、なんとかご飯ぐらいは食べれるような状況です。
幸いにも、借金は親父が死んだ事で、生命保険などである程度返すことはできました。
親父の最後のお土産です。
その親父の葬式の日、棺桶の前で俺は酒を飲みながら親父に訪ねました。
「親父の人生は、これで幸せだったのか?」と。
答えは返ってきません。
棺桶の前で、俺はこんな人生だけは送るものか!
そう誓いました。
しかし、この後の人生は親父より酷いものだったように思います。
明日からは、この後の俺の人生について書いて行きたいと思います。